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今日で阪神大震災からまる12年がたちました。

普通には「もう12年か」ですが、深い悲しみを感じた人には「とてもとても長い12年」だった事でしょう。

 

友が「阪神大震災についてお父さんお母さんに聞いてみましょう。」という宿題を出されました。

まだ小学校1年生の友には完全に理解する事は難しい話かもしれません。

でも、しっかり伝えていきたいと思っています。

 

阪神大震災の日のことは今でも脳裏に刻まれています。

当時、典太は大阪南部にある大学の3回生でした。

大学からそれほど離れていない4階建てのマンションの4階に住んでいました。

朝5時46分、物凄い轟音と建物のゆれで目が覚めました。

おそらく30秒も無かったと思うのですが、すごく長い揺れを感じました。

確か・・・断続的に2回大きな揺れがあったと思います。

揺れが止まると反射的に実家と当時彼女だった嫁ちゃんに安否確認の電話をしました。

石川県に住んでいた親は地震があったことも知らず6時前に叩き起こされて何事かと思ったそうです。

その後すぐに電話回線が混乱し、関西地域で2、3日電話がつながりにくかった事を覚えています。

テレビに映し出されるのはヘリコプターからの炎と黒煙に染まった神戸の町の様子。

安否確認でラジオとテレビから読み上げられる名前とメッセージ。

ハンマーで頭をガツンとぶん殴られたような衝撃でした。 

 

神戸や明石方面に住む大学の友人に連絡がついたのは1週間後でした。

芦屋に住む高校時代の友人の消息が知れず、心配しましたが

テレビ中継で倒れた自宅の母屋を片付けている友人が偶然映り、安堵した事は忘れられません。

 

典太の周りでも知人や知り合いなど多くの方が亡くなりました。

そのときの驚きや悲しみ、苦しみは決して記憶から失われる事はありません。

人々の記憶の中から風化させてしまうことが無いよう、当時の思いや

今思うことをしっかりと胸に刻んで生きていきたいと思います。

 

そんな典太の思いを子供達もいつかきっと理解してくれる日が来ると思います。

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